『風の大陸から』第1話

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Description

DSC_1111旅の始まりがどこか分からないことがある。

出発をする日が始まりか、一人になったときからか、思い立ったときから始まっているのか。それとも僕の旅は、29年前、母から生を受けたときに既に始まっているのだろうか。そうであるなら、旅の始まりにこだわることはないのかもしれない。
自転車世界一周の第二段、ヨーロッパ・アフリカ縦断が始まった。いま、冬のノルウェーを自転車で進んでいる。まずはヨーロッパの最北端を目指し、そこから欧州全域、地中海、サハラ砂漠を越えて2年後、南アフリカの南端、喜望峰に到達する予定だ。
2011年12月2日。日の出、午前9時半。気温、-12℃。弱い南風。

この日は午後3時に日が沈みすぐ夜がやってきた。野宿できる場所を見つけられず黒い闇のライトに浮かぶ凍った白い道を疲労を引きずりながら走っていた。テントを張れそうな場所はないかと車輪を転がしていると、遠くでぼんやりと灯りが見えた。近づくとそれは一軒の家の窓からロウソクの光が漏れて雪に反射しているのだった。僕は戸を叩き玄関から出てきた婦人に訳を話した。初めは怪訝な顔をしていた婦人だったが、ようやく意味がつかめたらしく、こんな寒い日にテントなんてと家の中に招いてくれた。
暖炉には紅い火が燃え、窓際に僕を導いてくれたロウソクが灯っている。夜になってから気温は一気に下がり、外はおそらく-20℃近くになっているだろう。
暖炉の前の小さな机にフローレンという70歳を迎えた女性が食事を運んできた。出された料理は日本の夕食のそれとは違うのだが、僕には同じように感じられて仕方がなかった。何とも温かいのである。もういいの、お代わりは?しっかり食べないとね。明日も寒いわよ、出発は暖かい日にしたら?あなたのことが心配よ、心配よと、まるで本当の母のように僕の手を取るのだった。DSC_1118
移動を続けることが旅のひとつの定義なら、人の一生もそうとはいえないだろうか。次の朝、フローレンは僕が見えなくなるまで道路で見守ってくれた。今日という日も「母」から始まっていく。
12月25日。その日に合わせて僕はフローレンにカードを贈ることにしている。サンタのイラストとお礼を書き、最後は日本語でこう記そうと決めている。“ノルウェーのお母さん、たくさんの心をありがとう”と。
今夜もフローレンは窓際のロウソクに火を灯すだろう。あの灯りは彼女の温かさだったといま思う。冬の北欧は寒いけれど人々の眼差しは温かい。素敵な命をありがとう。旅をさせてくれてありがとう。世界中の母たちへ、メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。

 

「風の大陸から」は山口新聞の紙面で連載中です。

山口新聞
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/

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