African report:Uganda

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夏が終わり、10月後半の海外取材に向けて準備を進めつつあった頃、アフリカから1通のメールが届いた。
「命を狙われている。病気で動けず、ひどい空腹(原文を載せたいができない)」
killやillnessやhungryというPC画面上の、それ自体には意味のない無機質なアルファベットが、緊張感を伴い脆弱な鼓動を開始した。それまでパレスチナ行きを考えていた僕に迷いが生じた瞬間だった。

そのメールはウガンダにいるブルンジ人の友人からだった。
昨年(2015年)7月末の大統領選でブルンジは情勢が悪化、一時はジェノサイド勃発かとも懸念されたほど街は内乱の様相を呈した。現地で僕を助けてくれた別の友は、別れて2か月後、政権を批判するデモを取り締まる治安部隊に連行されそのまま命を失っている。
メールをくれた友人とはルワンダで知り合ったのだった。頭のよい学生で、独裁と呼ばれるンクルンジザ政権を批判したことで大統領支持派の青年組織「インボネラクレ」に命を狙われ、ルワンダの難民キャンプ、ウガンダの難民キャンプへと逃亡、そこでも身の危険を感じて首都カンパラに潜伏したのだという。
額に汗の粒をにじませ、口角から泡を飛ばし、黄濁した白目にクモの巣のような血管が走る狂気の眼に何度か遭遇している。鋭い眼光が僕を射抜くときの恐怖が脳裏の闇に立ち上がる。
kill、illness、hungry…
震えていたのはアルファベットではなく僕の方だった。

パレスチナ取材の道程に突如浮上したウガンダ。迷いが生じたため10月の出発準備に取り掛かれずしばらく悩んだ末、恐るおそる僕は友人に取材の申し入れを行った。理由を伝え、身に危険が及ぶことのないよう対処する旨を誓った(友人はこれまで欧米系のジャーナリストに取材をされているが、断っておいた氏名と所在を公表されたことに怒りを訴えていた)。ルワンダで関係を築いていたこともあり、条件付きで友人は許可をくれた。
圧倒的武力による殺戮が現在進行形で行われているパレスチナは、避けては通れない場所である。だが友人のくれた短いメールによって、僕の行き先はパレスチナからウガンダに変わった。

ウガンダとブルンジの調査が始まった。
仕事を終え、休日に講演を行い、夜半に取材のための調査や準備をこなしていく。しかしもともと要領がわるく怠惰な性格でもあり何も進展しない日が続いた。机上には開かれないままの資料や書籍が溜まっていった。この国から遥か水平線の向こうの貧困国は、日本語で検索してもほとんど情報を得られず、辞書を片手に英語のサイトを読みそのままPCの前で眠りこけることも多かった。

友人はたまにメールをくれた。
「深刻な空腹が続く」
「難民の生活はあまりにもひどい」
「命を狙われるというストレス」
それでも状況は少し改善したというが、僕の生活から考えれば暮らしの平穏にはほど遠い。

僕は二十歳を過ぎた頃から少しずつ人前で話をするようになった。もともと浅慮で無責任な性格の僕は、人の前で大げさに夢を語り称賛されることで心地よさを感じていた。喉に刺さった小骨のように、けれども、心のどこかに何かが引っかかっておりそれは時を重ねるごとに大きくなっていった。数多(あまた)の人に施しをもらいながら、水も飲めず食べ物もなく背骨を浮かせて転がっている子どもたちの横を、この僕は素通りしてきているという自責だったと思う。少しずつ重くなっていく子らの残像を引きずり再び旅を続け、シエラレオネとマラリアとルワンダを経て、僕は何かを決断する時期に来ていた。

どんなに体のよい言葉で飾っても、悲惨な状況下に置かれた人々を取材するということは罪を伴う行為である。だが知らないことも、知らないふりを続けることも、知らぬうちに加害の側に立っていることも罪なのだという思いが、折節、したたかに胸を締めた。僕はそのいずれにも該当していたからである。
腕をマチェーテ(山刀)で斬られた女の子の傷痕に触れた。潰された両の眼にも指を這わせた。
“絶望を知らずして希望を語ってはならない”
あのとき、僕はそう感じた。この子たちが種々の傷みに耐えていた頃、僕はスポットライトを浴び拍手を受け浮ついて夢を語っていたのだ。報道価値がないとされる、豊かさの底辺で生きる人々の傷みを想像もせず勇ましい顔をして夢を語っていた。負の現実を知らずに希望を語ることは容易い。しかし人間の絶望を知った上で、それでも私は人間の希望を語れるだろうか。

年が明けて、短期間だが再び海外へ取材に出る。安穏とした環境下で弛緩した精神が、即、アフリカの空気に順応できるかは分からない。どんな視線が僕を射て、どんな音や臭いや感覚が皮膚に擦り込まれていくだろう。砂埃も排ガスも体臭も腐臭も死臭も、清濁、正負、善や悪をひっくるめて僕が出逢うものすべてがこの時代の現実である。
厳しい環境下にも自分と同じ人間がいるはずだ。笑っているか。泣いているか。笑みの奥に深い悲しみはないか。絶望の闇でも希望の光がどこかに残ってはいないか。

様々な思いをザックにぶち込んで、1月末、アフリカに旅立つ。彼ら彼女らの眼孔から、世界を、日本を、私を覗いてみようと思う。
Merry Christmas.
Photo:Sierra Leone & Burundi

付記:この取材活動にかかる費用の一部に、皆様から賜った寄付を充てさせていただきます。身の安全を何よりも優先し、必ず無事に帰ることを固くお約束いたします。

付記2:長期休暇を認めてくれた社の代表、上司および同僚と、今回の取材に関してご協力いただいているすべての人にお礼申し上げます。

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