Thinking about “Energy”on the bed

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Description

I am enough better to read a book which is about “German’s challenge of abandoning nuclear power generation”.DSC_0852

 

(前回からの続き)
「プラハの春」や「アラブの春」などどうでもよく、「ミュンヘンの(夜の部の)春」の方が私は気になっていた。

「ハァハァ……」
風邪のためか私はうっすら額に汗にじませ、楽しみな18歳未満禁制の夜が始まるのかと思っていると、乙女は僕を寝室に案内した後、そそくさと、私には一瞥もくれずに立ち去った。日本人とは違って仕事終了の時間をきっちり守る、いかにもドイツ人らしい見事なまでにきっぱりとした別れ方であった。

私は勝手に空けておいた夜の予定をなくし、一人うろたえた。
ほんの少し前までは、私の咳を受け止めてくれる母なる大地があったのに、いまそれらは足下から溶解し、「ウッホウッホ」と咳をすれば、室内には虚しく風邪の菌と一緒に己の空咳が響き、「母なる大地はどこに行ったのだ」と私は不安の海で溺れそうになるのだった。仕方がないので、私は現実に戻り療養することに決めた。

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しばらく眠り、少々体調を取り戻した僕は、ドイツのエネルギー事情を取材した本を再読し始めた。ドイツを旅するテーマの一つは「エネルギー」であったから、ではなく、やることがなかったのだ。

「ドイツと日本の電力市場の違いはっと……」
お世話になっているというのに横柄な態度で寝転び、昨夏、何度も読んだ箇所を濁った眼(まなこ)で流し読みしていった。DSC_0246
だが読むにつれ、ドイツのデュッセルドルフ以降、ブレーメンでの日々、デンマークのフォルケホイスコーレ、バルト三国での日々、ポーランドのクリスマス、チェコの年末年始にビロード革命叙情詩と、息つくまもなく感動が目白押しだったから忘れていたけれど、ドイツはチャレンジャーの国であったことを思い出していく。DSC_0270

ご存知のようにドイツは、フクシマ事故後すぐ、原発の全廃を決定している。国民の反応はどうなのか、なぜそのようになっていったのか、どのような歴史背景があり、再生可能エネルギーの比率を上げていくメリットとデメリット。そもそも、脱原発は現実的なのか可能なのか。詳細は『脱原発を決めたドイツの挑戦』(熊谷徹著、角川SSC新書)をご考願いたいが、ドイツはエネルギー革命を世界に先んじて進めていて、僕はその挑戦が孤立・失敗に終わって欲しくない。

 

大きな違いだと思うのは、まずドイツと日本の電力市場である。DSC_0264
ドイツはEUの自由競争促進委員会の圧力により自由化が始まって以来、現在1000を超える電力販売会社があって、好きな電力会社を自分で選べる(日本は東京電力をはじめ10社であり選ぶことはできない)。

また電力の精算書には、電力がどのエネルギー源によって作られているかの内訳や、1キロワット時の発電を行うためにどれだけの二酸化炭素が排出され、核廃棄物が出るかの表示が義務付けられている。
どの電力会社の電力を買うか、ドイツでは選択の数も情報も桁外れなのだ。

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メルケル首相はフクシマ事故後、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を招集し、将来ドイツはどのエネルギー源を選ぶべきか提言させた。特筆すべきは、経済や産業や国際政治とは別の、「文明論的な見地」からの提言を重要視したことである。
この委員会には原子力専門家や電力産業関係者は一人もおらず、哲学者、社会学者、宗教者などが名を連ねていて、その中の一人は原子力専門家なら発言をしないであろうこんなことを言っている。
「原子力事故に始まりはあるが、収束を断言することはできない」

 

フクシマの事故は収束したのだろうか。DSC_0700
チェルノブイリ事故後、残骸が埋められた800箇所では今も地下水と大地は汚染され続けていて、甲状腺ガンや白血病を患う人の減少の兆しは見られないという。それが原発事故の影響なのかどうか僕は知らないが、原子力事故の悪影響を時間的・地理的に限定することは難しいとその委員会は述べているのだ。
しかしながらドイツのテーマは「脱原発」ではなく、それをも含んだ「脱化石燃料」と「再生可能エネルギー」での自立であり、それがドイツのエネルギー革命なのだと本には書かれてあった。

 

僕が理想的だと思う発電の分散化、非集中化を目指すためにドイツがしていること、産業界との兼ね合い、電力価格、国際競争力のバランス、山罪積みの課題、日本が参考にするべき点。僕たちはどう動いていくべきだろう。
原子力発電に関する議論は一時期日本でも大きくなったと思われるが、政治はそれだけがテーマである訳ではない。そしていまは別の問題が大きくなり、フクシマや原発は少しずつ過去になりつつはないか。
もし原発に反対するなら、自然エネルギーの負の面をしっかり認識しなくてはならない。そして「反対」を唱えるだけでなく、「代案」を出さねばならない。そのヒントが、ドイツにある。

 
「ハァハァ、そういえばそうであった」DSC_0837
いつの間にか私は、横から神妙な縦の体勢になっており、額にはうっすらと汗をにじませ、窓から見えるドイツの雪景色を見下ろしていた。
僕が鼻水を垂らし、夜の部の春にドキドキしている間にも、それぞれの立場の人々が、それぞれの未来と世界と人類の春のためにがんばっているのであった。

 

「そうか、僕は僕でがんばらねば!」
僕は気合を入れて、再びベッドで横になった。まずは風邪を治さねばならない。
子どもたちも未来も、全ては私たち世代の責任である。

春はいつ来るのだろう。

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