『風の大陸から』第10話

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Description

北緯71度11分08秒。ヨーロッパ大陸の最北端は、剥き出しの黒い岩肌に荒波がそのまま凍りついた心細い場所だった。

2012年2月7日、午前11時38分。ようやく目指していた北の最果てに辿り着いた。北上の旅はここまで。ここからは南アフリカの喜望峰まで、一路南下の旅となる。目の前には鉛色のバレンツ海。聞こえるのは突端の岩に砕け散る波の音と、一人ぼっちの心をつんざくような風の音だけだ。ピューピューと極北の風が吹き抜けて体温と余裕を奪っていく。残された寂しさと恐ろしさが際立つ。

「よっしゃあ、やっと来たあ!」

大声で感動的に叫ぼうと思ったけれど、僕は静かに「うまいもん食いてぇ」と口にしただけだ。最北端に辿り着いた嬉しさはあまりなく、ようやく折り返し地点(テントから岬まで片道9km)に着いたという微かな安堵と、夕暮れが迫ってくるこれからの帰路が勝負だという新たな緊張感の方がよほど大きかった。記念撮影を終えてから僕は向きを変え、南へ、テントのある方角へと歩き始めた。

この岬の存在を知ったのは、かれこれ10年ほど前になる。大学時代に買った一冊の本にヨーロッパの一番北は、一般にいわれているノールカップ(北緯71度10分21秒)ではなく、クニブシェロッデンという隣の岬なのだと書かれてあったことが印象に残った。その頃、僕は自転車で九州一周を終え、次は日本縦断だと息巻いていた。旅の本を読み漁った。具体的な世界一周こそ考えなかったが、いずれヨーロッパにも行くだろうという漠然とした予感は既にあった。以来「本当の最北端」は、コンコンと10年もの間、僕の心の底を叩き続けた。

極北の風は止まない。寒風に煽られ再び氷の地帯を1kmほど這って急峻な崖を登った。一歩間違えば落下する。怖さも不安も期待も意識の向こう側に追いやって冷静さと余裕を集めた。陽が傾き雪面が灰色になり気温も下がる。不安になりかけたとき、往路に付いた自分の足跡を遠くに見つけた。テントまで帰り着くための、それはいわば生還への道標だ。広大な雪原に転々と続く頼りない足跡が懐かしかった。僕は自分の痕跡を踏みしめて、午後3時7分、無事テントに帰着した。そして中に腰を下ろして初めて、最北端の岬から解放されたのだった。

「ただいま」

待ってくれていた自転車たちに声をかけた。お酒は街に着くまでお預けだが、シャーベット状のチーズと水で祝杯を上げ、テントに一足早い春のような穏やかな空気が流れたのだった。

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