『風の大陸から』第30話

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Description

 

Velvet revolution. Photo from “KRONIKA SAMETOVE REVOLUCE”

Velvet revolution. Photo from “KRONIKA SAMETOVE REVOLUCE”

 

「あのときが、俺の人生で初めて本当の自由を知ったときだった」

記憶が何層もの波になって彼の皮膚の内側を流れていた。その波動が傍らで話を聞く僕にも伝わり肌があわだっていく。人々の歓声や、叫びや、自由を求める人間の行動が、とてつもない時代の鯨波となって歴史に刻まれた瞬間であったのだろう。

1989年11月17日のチェコスロバキア。当時24歳だったヴラダンは、後に「ビロード革命」と呼ばれる革命の只中にいた。

「金曜日から人が集まり出したんだ。携帯電話もインターネットもない時代だ。人づてにゆっくりと、でも確実にその波は大きくなっていった。そして月曜日の朝、革命が始まった」

静かに語るヴラダンより僕の方が興奮していた。僕が反応しているのは、自由を、人間らしい生き方を求める人々の底力のようなものにだと思う。革命はプラハからはじまり東部のスロバキアまで全土に広がっていく。

ソ連統治時代、自由を奪われた人々は何も言えず「すべてが同じ生活だった」という。

「変わったことは許されず、自分で考えて何かを生み出すこともできず、家も部屋も家具も情報もすべてが同じだった」

未来はなく、ただ生活するだけの毎日だったんだ。苦しかったよと彼は言った。

台所で薬缶のお湯がシュッシュッと湯気を上げた。そのころ夢はありましたかと、ガスの火を消しながら僕は訊いた。

「当時、俺のたった一つの夢は、コミュニズムが崩壊するのをこの目で見ることだったよ。そして、行けなかった外国へ旅をする。イングランド、フランス、西ドイツ、スカンディナヴィアも。君みたいに」

とてもネガティブだったねと彼は自嘲気味に笑ったが、眼差しは常に真剣だった。

「いま、俺は自由がどんなものか知っているから何が起こっても精神は自由でいられる。問題なのは、本当の自由を知らないと自由が何か分からないってことなんだ。本当の自由を知らない自由な身より、本当の自由を知っている刑務所の方がマシなんだ」

当時の資料を手に持ち、いま彼はその日の写真に見入っている。額に深いシワが3本あった。ゴツゴツした長い手の指が当時を語っている。穴の空いた靴下から見える丸っこい足指。少しだけシミの浮いた細い首筋。歴史が人の体を削っていく。

自由というものがどんなに貴重なのか、僕には分かっていないのかもしれない。自由がどんなにありがたいものなのか、もしかしたら彼やチェコ人やそれを奪われていた人々ほどには、知らないのかもしれない。

 

 

注 : 上から3枚目までの写真は“KRONIKA SAMETOVE REVOLUCE”誌に掲載されていたものです。

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