『風の大陸から』第36話

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コソボ共和国の小さな町、プルゴヴァツにある自動車清掃会社の待合室では、3月27日、10人を超す男たちと日本から来た自転車乗りが熱い会話を交わしていた。

知らないことだらけの人間同士、会話は当然、盛り上がる。

そのうち、ある中年の男性が静かにこんな質問をした。

「お前はセルビアを通ってきたんだろ?……で、どうだった?」

ムスリムを多数派とするこの国は、独立以前からセルビアの支配に不満を抱いており、いまだに火種が燻っている。この地域一帯はバルカン半島で最も危険な一部であり、反セルビア感情が根強く残っていることは承知していた。

僕は感じたままを伝えた。

「セルビアでは多くの人が僕を助けてくれた。訪れてよかったと思う国の一つであり、よい思い出を残せた国であり、それはあなたがたと同じように、僕という人間個人を観てくれて、それに対し深い友情を示してくれたからだ」と。男たちはみな静かになった後「そうか」といって頷いた。「じゃあさ、一番やさしい人がいた国は?」と16歳のノリが訊いた。コソボよ!と沸かせて、僕は続けた。

「人間は同じだと思うんだ。コソボでもセルビアでも米国やキューバや日本でも。朝起きてご飯を食べ、勉強し働いて。嬉しければ笑い悲しければ泣く。そして多くの人はやさしくありたいと思っている。僕という人間はとても幸運なのだけれど、それはどこでも、あなた方のような人々に出逢っているから。どこの国というより、僕が出逢う人はみんなやさしい」

僕は「We are the same」という言葉を何度も使った。

彼らを納得させることが目的ではなかった。ただ、僕という人間を知って欲しかったのと、セルビアの友人たちに対するわだかまりを少しでも解きたい思いがあった。

コソボを憎むセルビア人、セルビアに憎悪を燃やすコソボ人は依然いて、双方が、おそらく直接お互いに顔を合わせて話をしたことはない。そうでありながら、それだからこそ、憎悪は維持されなお増幅されていく。異質性ではなく同質性に目を向けてみてはどうか。近しいものがありはしないか。

コソボでもセルビアでも、なぜそれほどまでと問いたくなるほど心やさしき人々が住んでいた。それぞれが悩みを持ちながらも日々を懸命に生きていた。個人個人を見れば人間の基本は何も変わらない。僕たちは誰もが同じ「人間の根」を持っている。

後日、一番の友人になった24歳のグラニットは「オレもリオと同意見だよ。人間は同じ。セルビアはもう過去のことだ。明日は明日」と語った。

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