Bitter Trial

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Description

But for bitter trial and difficult time, my journey and life would have no meanings.

In Ethiopia and Kenya, I had many experience. Like some people spat on me, threw rubbish or stones, intimidated by stick or hatchet, beat by stick or branch, tried to take my equipment……etc……

However the most important things is keep my natural heart. Don’t panic. This is my training for my life be wonderful.

I have passed area where is the most dangerous from Ethiopia to South Africa. Yet, of course, there are a lot of problems on my way in Africa, I will care of myself.

Thanks !

 

旅は行である。辛苦がなければこの旅は無意味である。しかし命の危険は回避しなければならない。

 

エチオピアは、これまでで最も非紳士的な扱いを受けた国となった。

つばを吐きかけられる。ゴミを投げつけられる。棒や鉈で威嚇を受ける。杖や木の枝で打たれる。荷を引き出し奪われそうになる。度を越した金銭の要求。断ると投石の嵐。

つばを吐きかけられたら拭けばいいし、ゴミを投げられ汚れたら洗えばいい。そんなことで揺らぐことはもはやない。しかし、武器にもなりうる棒や鉈での威嚇や投石は時として危険である。

エチオピア南部では多くの地域で似たような状況があった。これは一体なぜなのか、理由が知りたいのだ。非黒人、もしくはアジア人に対して特別な嫌悪を抱いているのか。一部のアフリカ人に見られるアジア人への偏見と侮辱か。強烈な劣等感からくる嫉妬や妬みが原因だろうか。貧困という理由をあげることもできるが、もっと貧しい地域を通ってきているから、それだけでは説明ができない。

道中、大人以上に子どもたちが棒や鉈で威嚇をし、走行の妨げをしてきた。限度を知らない子どもたちの行動は逆に恐ろしく、そのため子どもの集団を見る度、少し構えるようになった。子どもたちがそのような行動を取るということは、大人の中にそのような考えと行動をしている者がいるということである。誤解を生むといけないので断っておくが、多数のエチオピア人は非常に礼儀正しく親切である。ただ、上記したような行動を取る人の絶対数も相対数も、これまで通過してきた国と地域の中で最大だった。

のろまで格好わるい自転車の旅というものが、彼ら彼女らにとっては嘲笑の対象になったのか。いや、先進国と自国との差を感じ得る底辺ではない貧困ゆえの、海外旅行ができる富者への得も知れぬ怒りのようなものなのか。その理由がいまでも分からない。判然としないままそういう地域を通り抜け、大地溝帯の底を渡って僕は辺境の地を目指した。

 

世界最大の砂漠湖、トゥルカナへ注ぐ重要な大河、オモ川。エチオピア南西部、南スーダン南東部、ケニア北西部に跨るこの流域はいまでも独特な生活をしている先住民族が多く暮らす、秘境と呼ばれる地域である。東から西へ道なき道を手探りで進んだが、今度は投石こそなかったものの金銭を執拗に要求するダサネッチ族に行く手を阻まれ苦労した。

僕らの住む世界から遠く離れたこんな場所にも、貨幣経済というものが入り込み彼らの生き方に変化をきたしているのは間違いない。写真を撮れといっては金銭を要求し、通行料を払えと脅し、お金を出さないと分かると鉈と杖で行く手を阻む人が一部にいた。命に危険が及ばない限り不当な金銭の要求に僕は応じないし、また金銭を要求する人の写真など撮りたいとも思わないが、それが彼らにとっては面白くなかったのかもしれない。昨今では一部で人気となっているが、秘境ツアーと称して先進国の人間がこの地域に入っていき写真を撮っては賃金を払うという行為が繰り返されている。それを批判しているわけではないが、現地住民の中には外部の人間からは金が取れるという意識が生まれても仕方がないだろう。

エチオピアからケニアへ行くのに、そのオモ川を渡らねばならなかった。水量の多い本流は丸木をくりぬいた渡しで渡ったが、その後、いくつかの川を自力で越えねばならなかった。最も過酷だったのは、幅およそ150mの川越えである。水量は深いところで腰まである。彼らが要求する金銭を払えば彼らの土地である中州を歩いて渡ることができ、そうすれば実際に川を越えるのは50mほどですむ。けれども僕の周りを取り巻いていたのは人間的にあまり尊敬できない男女たちであり、金銭の要求をやんわり受け流した僕は彼らの土地を歩くことはできず、頭に荷を乗せたまま150mの川を歩いて渡った。底はぬかるみで凹凸が激しく、足を取られて何度も転びそうになった。

ここまで来るのにエチオピア高原の山と丘を幾度も越え、相当な悪路を走り、人々から受けるストレスを飲み込み、その上での嫌がらせと困難な渡河である。脚も腕も腰も疲労を感じていた。加えて荷物が心配だった。両岸に置いた荷物は中州の樹々や柵で見通しが利かず、誰かが奪おうと思えば簡単に奪える。体力、時間、盗難の危険性などを考えると、お金を払って手伝ってもらった方が得策かもしれなかった。自力で渡河ができないのは不本意だったが、状況から鑑みて仕方がないと判断した。

そうして僕は何とかオモ川と彼らの領地を越えた。

その後はずっと砂漠が続いた。道はなく、ただうっすらと続く轍のようなものを追って歩いた。人がいない場所は煩うものがなく心は静かで軽かった。

 

幸い、ケニア、ウガンダ北部では、最も警戒していたソマリアからの武装勢力「アルシャバブ」に出くわすことはなかった。ケニア国境まで2kmという地点で、しかし、ダサネッチ族(国境のケニアの軍人たちはメリレもしくはメルレと呼んでいた)の若者20人に襲われている。人がいないということが急遽、危機に反転した。助けを呼ぶこともできず、40分間必死で我が身と荷を守った。何人かは凶器を持っていたので運が悪ければ傷を負うだけではすまなかった可能性がある。

またケニア北部ではトゥルカナ族の子どもたちに執拗に追われ投石に遭ってもいる。いずれも実害はなく、運がよかったとしかいえない。

この地域では人が現れると、まず恐ろしさと警戒の方が先立った。しかし同じダサネッチやトゥルカナ族でも親切な人々に助けられてもきた。また僕を脅かした人々も、仲間内ではきっと頼れる心優しき人物でもあるだろう。

人間は一人ひとり様々であり、一人の人間にも様々な顔がある。

 

ケニア西部のキタレという街付近からようやくアスファルトになり、子どもたちもいつものように人懐こく、大人も僕の知る親しげで穏やかなアフリカ人に戻った。チャイナ、チャイナと呼ばれることはあっても、つばを吐きかけられることもゴミを投げられることも威嚇を受けることも投石の心配もなくなり安堵する。しかしどこを走っていても、どんなに安全だといわれる場所であっても、何が起こるかそれは誰にも分からず、強盗や盗賊に遭遇するリスクを旅人は常に背負っている。テントで寝ていてもちょっとした葉擦れの音に敏感に反応できなければ野宿は止めた方がいい。

調子に乗ったら死ぬ。気を抜いたら死ぬ。平常心を失えば死ぬ。いつもそう思っている。結局、故郷の実家に帰り着くまで、僕が完全に緊張の糸を解くことはないのだろう。

 

最も警戒していた地域はひとまず通過した。治安に関して今後少しはましになる。盗賊との40分間はここでは詳細は書かない。それは冒険談ではなく、本当はあってはならない失態である。事故のときもマラリアも今回も幸いなことにたまたま命が助かった。次はないかもしれない。

旅をして得られるものがあるとするなら、それは辛さや苦しさや悲しさや寂しさといったものが大切な下地を創っているが、旅をして得られるものがあるとしても、命を失えばすべては無意味なのだ。

 

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