Ntarama

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Description

大地を削り取るようなアフリカの激しい雨が教会を外界からを切り離した。

「臭い」が強くなっている。
昨日までサラサラに乾いていた微かな臭いは、湿度の高まりとともに俄かに粘性を帯び鼻や口にまとわりついた。
嗅覚は時として、視覚や聴覚や触覚よりも強烈な印象を人に与える。

僕はいま、ルワンダ中部に位置するンタラマの丘の小さな教会にいる。1994年4月、ルワンダでジェノサイド(種族根絶を目的とした殺戮)が発生、首都のキガリから虐殺は一気に国中に広まった。ンタラマでは、教会に避難したツチ系住民5000人以上がフツ系の人々によって教会や敷地内で殺害されている。内部には殺された人々の着衣が山のように積まれ、64の遺体と、1000の頭蓋骨と無数の骨片が無骨な鉄製の棚に安置されている。
事前の調査でここがどのような場所かは知っており、視覚で受ける衝撃には予め防波堤を築いていた。が、嗅覚には無防備で、臭いはその虚を突いた。

生乾きの汚水を吸い込んだボロ雑巾。乾いてもなお腐臭を発する有機物。そんな、一旦鼻腔に引っ付けば簡単には取り除けない粘性がある。
晴れているときはほとんど臭わなかったのだ。雨が降り、外界から隔絶され、彼らと僕だけになったとき、突如臭いが立ち上った。これ以上ないほど凄惨な殺され方をした人々と、何不自由なく生きていけるこの私。おそらくその臭いは、死者たちと僕とを隔てる距離である。

1月24日土曜日、天候曇り時々雨。この日の来訪者は2人。午前中に一人の白人女性が帰った後、僕は閉館間際までずっと教会に留まった。20m×8mの小さな空間。北側に19本のイビバビの樹。少し離れて炊事場と子どもたちの教室が見える。南側には猫の額ほどの広場とユーカリが立ち並ぶ。
壊れた後部の入り口から黙礼をして入った。骨の山と無数の衣類が埃を被っている。真ん中の通路を通り上段に進み合掌をした。若い女性ガイドのシャンタルには休んでいていいと言ったが、本当は一人になりたかった。

最後尾の、切り刻まれた死体が重なり血で染まったはずの粗末な板の長いすに座った。
頭を垂れ目を瞑り静止画を動かしていく。白黒のイメージに色をつける。無音の世界に音を足す。血の感触を確かめ、血の味を思い出し、そして臭う。
証言集の生存者の言葉が甦る。
「インテラハムウェが歌いながら到着したのは昼前だった。彼らは手榴弾を投げ、垣を破壊し、そして教会に突入しマチェーテや槍で人々を切り倒し始めた」
「ママが立ち上がり、お金を払うからマチェーテの一振りで殺してくれと申し出たとき、彼らは服を剥ぎ取り、お金を奪い、両腕を切り落とし、その後両足も切り落としたのです」
「僕の長姉は苦痛がないように殺してくれと、知り合いのフツに頼んだ。しかし近くの人が彼女は妊娠していると叫ぶと、ハキズマはナイフで彼女の腹を裂き、袋のように開いた」

静止画を動かす、イメージするということは、自分の父がマチェーテで頭を割られ、母の両腕両足が切断され、姉の腹が裂かれ、弟の体が切り刻まれる場面を、色も音も感触も味も臭いも加えてリアルに立ち上げるということである。それは正気が失われそうになる辛い行為だ。それでも人々の痛みを知ることはできない。それでも、想像をしなければならなかった。

雨の音が逆に静寂をつくっている。
頭蓋に目をやる。彼ら彼女らと視線を合わせていく。
それぞれに親があり子があり友があったはずだ。好きな人と抱擁をしキスをし愛しあい、笑ったり喧嘩したり、何ということもない、しかし特別な日常があったはずだ。たくさんの夢もあっただろう。
1000もの頭蓋骨の中からはっきりとした視線を感じたのはそのときである。それは後頭部の失われた、掌に乗るほど小さな子どもだった。
表情があったのだ。笑っていた。いや骨なのだ、そんなはずはない。僕がそう思いたいだけだ。
(どうした?)
その子の額の曲線にあわせて指を這わせ、心で語りかける。返答はないけれども、この子が笑っているのが分かるのである。いや、表情があるわけがない。原稿を書くためにそう思いたいだけなのだ、きっと。
(いたかったね、こわかったね。もう、だいじょうぶよ)
目が合う。
(もう、だいじょうぶよ)

不可解なことに、予想に反して、僕は人々の泣き喚く姿をこの頭蓋骨の群れからほとんど感じなかった。穴の開いたレンガ壁や、取り外された鉄格子や、手榴弾による破壊痕や血に染まったはずの衣服からは人々の阿鼻叫喚を容易に感じ動揺もしたが、骨だけになった人々の視線はとても静かだった。
なぜなのか自分でも分からない。あまりに多くの凄惨な現実を目にしてきて感覚が麻痺しているのだろうか。多くのアフリカ人がそうであるように、悲しみより笑いと明るさとあの生命力の印象が彼ら彼女らには強いからだろうか。

その子から顔を上げ、他の人々に目を向けた。
頭に鏃(やじり)が刺さった頭骨と、顔に4本の深い切れ込みがある頭骨が一際目を引く。骨というのはこんなにも簡単に穴が開き、こんなにきれいに切断されるものなのか。いや怠惰な人間の刃物はこんなにも切れはしない。明らかにこれは「熱心」な人間の「仕事」だ。
ンタラマから南方に10km、ニャマタという地域でジェノサイドを指揮した人物の行動が思い浮かぶ。彼は虐殺が始まる数ヶ月前からフツ系住民の家を訪問し、マチェーテがよく研がれているかどうかを確認していたという。ジェノサイドへの周到な準備が進行していた。

人はなぜ、争いを繰り返すのだろう。
僕はなぜ、戦争の傷跡を追うのだろう。
人々の痛みを、僕はどれほど想像できるだろう。
想像したとして、それが一体何になるだろう。
人間の心の闇にあるものを、僕たちはどれだけ自覚しているだろうか。

この取材にどれほどの意味があるのかも分からない。12月初頭からはじめたルワンダでの取材はもうすぐ終わる。

降り出して1時間が経過した。この教会だけ時が止まっていた。
あの子が僕を見ている。

雨が降ると臭いがする。

 

 

追記:刑務所内にいる虐殺加害者(ニャマタ地区元統率者)への取材をルワンダでは最大のテーマとしていた。しかし後ひとつの書類が提出できず、結局許可は下りなかった(生存者への取材許可は昨年に取得している)。近く僕はルワンダを出発する。被害者の証言と同様、加害者への証言の重要性は論を俟たないが、裁判には費用と時間がかかることと、刑期を終えた、または罪に問われなかった元加害者たちは一様に口を閉ざし、加害者の証言はそれほど明らかになっていない。とりわけ肝心なのは統率者の証言である。どのようにして準備、指揮をし、どのようにすれば人は簡単に人を殺すようになるのか。それを知っているのは、一般の住民よりも統率者である。加害者への証言を訊くことはできなかったが、加害者の証言集から拾えることを考察し、文章にまとめていく。ひとつの街に長く滞在し過ぎたため今後は移動に専念したいが、世界が暴力に溢れていることと危険に対する感受性が鈍っているため注意が必要だと戒めている。重々気をつけたい。いのち最優先で、必ず無事に帰ることを改めて約束し、残り少ないルワンダを楽しもうと思う。ルワンダでの日々は時間があるときに公開する。なおンタラマの教会には約1000の頭蓋骨が安置されているが、半数は上段にあるため一般に見られるのは500程度。
旅は残り4ヶ月である。

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