To final destination

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Description

When I finished North and South American journey(2008~09) which is my 1st stage of cycling around the world, I thought over about next journey there ware 2 ways. One of them Europe and Africa. Another one was the North Pole. Nobody can reach to there by bike still now. So I wanted to be a first man who reach to North pole.
But after North and South America, I decided that next journey is Europe and Africa. I passed a lot of poor area and met many people especially children of skin and bone. I need to know about human beings world more over. Human kind’s light and shadow. That was reason why I chose this journey.
I thought my decision was not wrong.

I have lived in my journey about 10 years. I am using everything for it like a passion, money or time. Cape of Good Hope will finish not journey of Europe and Africa but my 10 years journey.
I have decided that after this travel I may leave from travel world long time(I don’t say that I will stop my journey. Actually my final stage is Asia and Oceania. However long time I may leave from it). On my journey I’ve discovered that I want to do something except journey. I want to challenge it. It is more difficult than challenge to the North Pole.

To there 84 km.
This is really final riding end up to Cape of Good Hope and my 10 years journey.
See you and I appreciate.

Japanese cyclist Ryoo(Rio)


2009年、北南米の旅を終えて帰国した僕は、ふたつの選択肢のどちらを選ぶかで悩んでいた。ひとつはヨーロッパ・アフリカ縦断、もうひとつは北極点到達のいずれかである。

北極点、南極点への自転車での到達は世界でまだ誰も成し遂げていない。その最初の人間になってやろうと、僕はその足がかりにまずは厳冬期のアラスカとカナダに渡り、-60℃に達する気温の中、恵まれない装備で生き延びる術と自転車での走行を学んだ。8本の指と爪先が凍傷にかかりながら、生と死が隣り合わせの緊張感と凄まじい自然への畏敬と信頼が逆に極地への思いをますます募らせていった。世界一周の第1ステージが北南米、第2ステージは両極点だと、ある時点までそれが僕の計画だった。
しかし旅を終えると僕の中に迷いが生じていた。メキシコ以降、中南米の貧困地域や紛争跡地を通過し、裸同然で動けなくなっている子どもたちを路上で見てきたことがひとつの因だった。そのときに携行していた何冊かの本も僕に影響を与えた。その本たちが書かれたのは僕が生まれる以前のことだったが、争いと問題の絶えない人間の世界はそのときと何も変わってはいなかった。

人口密度ゼロの極地か、人間の生きる大陸か。
僕は後者を選んだ。極地の魅力は捨てがたかったが、直感を信じた。いまの僕に必要なのは人間の住む大陸だ……人間の世界を観ること。
2011年11月、そうして僕はノルウェーに降り立った。当初2年程を計画していたヨーロッパ・アフリカの旅が、こんなにも長引くとは予想もしないで。

「自分」の限界に挑戦した北南米から、「人間」が大きなテーマとなった今回の旅。この世界の光と影を僕はどれほど見てきただろう。一人の人間の中にも光と影があり、僕の中にもそれがあった。
22歳の南米からいつも感じてきた。人は僕を助けてくれるけれど、僕は人を助けることができない。人々は僕に施しをくれるけれど、僕は施すことを知らずに人々の横を通り過ぎるだけ。うっすらと塵が積もっていくように僕の中にぬぐいきれない何かが蓄積していった。できる限り気づかないようにしているのだが、それらはある重さを含んでいて、ときどき僕はその重さに苦しむようになっていた。風が吹けば飛ぶような痩せ細った子どもたちの眼差しの何という重さ。その眼を、招待された豪勢な食卓の前で僕はしばしば思い出した。いや思い出したのではなく、僕の身体には何千という子どもたちの眼が焼きついていた。

旅を続けながら、これからどう生きるかで悩んでいた。そんなとき、西アフリカでマラリアに罹患し生死の境に立たされた。奇跡的にいのち存え日本に一時帰国をすることになったが、僕が意識を失い自発呼吸もできなくなったときに下関の実家に届けられたたくさんの祈りや励ましの言葉は、僕がどれほど恵まれた人間であるかを示していた。世界の悲しい現実を見てきているだけに、僕という人間は何という境遇に生まれたのだろうと心の底からありがたく思った。僕自身に誇れるものはないけれど、自分の周りの近しい人々が僕の誇りだと思った。そして恵まれた人間はそれなりに果たさねばならない役割を負っているのではないかとも思うのだった。そんなときにも子どもたちが脳裏に浮かんだ。

どんなに困難な場所を自転車で旅しても、もうそれでは自分の満足感を得られなくなってきている。自分のやりたいことが他にできてしまった。それは前々から分かってはいたことだが、それをはっきりと意識するには少し時間を要したのだ。

この旅を終えれば、僕は旅という世界から離れることにしている。
10年間、旅は僕の生活の中心だった。ひとつの旅の終わりは次の旅への始まりであり、存分にこの生命と若さを味わってきた。
そろそろ、次の夢、次の舞台、次の段階に移行するときが来ている。

草の種子のように風に乗って動き続けたいという思いと、親草のように地に根を張り生きていきたいという思い。移動と定住、冒険と家庭、旅と日常。それらは、同じ事象の表と裏である。
実は最終目的地を目前にして、そこに辿り着くことを心のどこかで躊躇している自分がいる。最後の地へ辿り着くとはどんな気持ちか、これまででも十分に経験してきているはずなのに、初めて躊躇をしている。そこに到達することが現実となれば、いかようにもめぐらしていた旅の終わりの想像ができなくなる。それを旅が終わる寂寥と呼ぶのなら、僕はいまその只中にいるらしい。

振り返れば様々な人の顔が浮かぶ。途上で言葉を交わし抱き合ってきた無数の人々。もう二度と逢えないだろう彼ら彼女らと交差した人生の刹那は一生の財。すばらしい旅という日々を生きてきた。

旅の終焉が迫っている。ヨーロッパ・アフリカ縦断の、ではなく、10年間に及ぶ旅の終着点、それが喜望峰だ。

ここから半日の距離に2日をかけようと思う。ぶれることなく平常心で、淡々と、自然体で駆け抜けていこう。すべてが真新しかった、感性は、10年前と同じように。

喜望峰まで84km、最後の旅である。
いってきます。

自転車乗り 西野 旅峰

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