Praying 2

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Description

Pray for my friends in France.
Pray for my unknown friends in Syria.
Pray for all people.
No Violence, conflict, revenge and war.
Not only a French flag but both flags.
We love France, Syria.
We love PEACE.

“理不尽な行為により命を失ったフランスの人々と、毎日理不尽に殺戮され続けているシリアの人々に心からの哀悼を捧げます。武力によって自分たちの正当性や正義を通し人の命を奪うすべての行為に心から抵抗と反対の意思を表します”

13日、パリでテロが起きた。国際社会は断固としてテロリズムに立ち向かうと、大国の首脳が語った。武力による人間への攻撃を僕も強く非難する。一気に増えたトリコロール。星条旗が西側諸国や日本でも見られたように、14年前の、佐賀での秋の光景が重なる。

2001年9月、米国同時多発テロにより世界貿易センタービルが崩壊した。僕はそれを学生寮の友人の部屋で見ていた。恐ろしいことが起こりそうな予感があった。
着々と報復準備が進む中、その秋、佐賀では恒例のインターナショナル・バルーンフェスタが開催されていた。動乱への不安をいっとき忘れ、青空に舞う気球の大群に目を奪われた。日が暮れると行われる、ガスボンベの炎によってバルーンが闇に浮かび上がるラ・モンゴルフィエ・ノクチューン。初めて見るそれはとても美しく幻想的だったが裏腹に僕の心は沈んでいった。

DSC_1130女性の司会者は、伸びのある軽やかな声で同じフレーズを連呼した。
「We love New York !」
ウィ、ラブ、ニュー、ヨーク!
テロの標的となり多数の犠牲者を出した米国への連帯を示すものだ。人々も一緒に声を合わせバーナーの火もそれに応えた。闇に浮かぶ黄色い炎とバルーン。スピーカーから響き続ける「We love New York」という掛け声。穏やかな秋の夜に力強く、議論され尽くしたとは思えないそのフレーズが僕の頭蓋にこだました。

僕は夏に知り合った内気なムスリムの留学生のことを考えていた。彼はイラクでもアフガンの人でもなかったが、どこか陰りのある表情とその小太りの姿に二つの国の人々を重ねた。被害は自分たちの国も大きいのに、同情も憐憫もなく悪者にされ、新日国家だがその日本でも無視をされる。寄り添う人のいないという感覚。それはとてつもない疎外感ではないのか。
イラクやアフガニスタン人の心情を察する、その想像力が欠落しているように思われた。

もしも「We love New York」を唱えるなら「We love Baghdad」や「We love Kabul」も唱えるべきなのだ。いやそれより、「We Love PEACE」となぜ言わなかったのか。どこの国であれ理不尽に命を奪われた人々の冥福を祈り、私たちは争いではなく、平和を望んでいると主張するべきではなかったのか。

アメリカ合衆国のことは知っているがイラクのことは知らず、ニューヨークの被害のことは知っているがアフガンでの殺戮は知らず、この国がそこの人々を間接的に傷つけていることも、ニュースにならない弱者の涙と悲しみを想像できない、そんな現実がひとつのフレーズに凝縮されていた。
あのときのインターナショナル・バルーンフェスタを、僕は忘れることができない。声なき声を発する人々への無関心。それもおそらくは暴力のひとつであり、僕も結局はその一端にいる。

2014年春、内戦が続き50万人以上が犠牲となったシエラレオネを取材をした。政府軍は長らく住民に圧力を加え、圧政から国民を開放するはずの反政府軍が住民を殺し、反政府軍から住民を救うはずのECOMOGが住民を殺戮し、市民自警団もリベリアの軍隊も住民たちを脅かした。最大の犠牲者はいつもそこに住む人だ。
シリアの武器を持たない人々は、イスラム過激派の支配に怯え、大国の爆撃に怯え、死んでいく。双方の正義がぶつかり合うとばっちりを喰らって、声なき声を発する人々が死んでいく。

大国と同調者の「正義のための戦争」と「成果」と「誤爆」。人の命は数では測れないけれど、数でいえばそれこそ比べ物にならない死者をシリアでイラクでアフガンと世界の弱き国々で生み出し続けている。そこには異を唱えず、知りもせず、知ろうともせず、僕は今日も安楽な日々を送っている。赤、白、青の色のみを視界にちらつかせ、僕は無意識のまま暴力に加担しているのかもしれない。日本から遠い国の声なき声への想像力を失ったまま。

東京スカイツリーがフランス国旗の赤白青に彩られている。SNSに三色が増えた。シリアと、イラクやアフガンの国旗はどこにも見受けられない。
14年前のあの日と同じことを思う。日本の「国際的感覚」を思う。

[NISHINORyoo.com 過去の投稿より参考]

フランス、シャルリー社におけるテロを受けて「宗教観」: http://nishinoryoo.com/?p=3191
シエラレオネ「犠牲になる人」: http://nishinoryoo.com/?p=3060
シエラレオネ「戦争をイメージするとは何か」: http://nishinoryoo.com/?p=3037

 

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