『風の大陸から』第31話

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1月中旬、僕はドイツ、ミュンヘンにある有名な学校を訪れていた。

午前中の授業の見学を終えて僕は生徒や先生方に混じって給食を食べていた。その様子を写真に収めるとヒゲの先生が「日本人はいつでも写真を撮る」とボソッと言った。それを聞いた僕は明るく返答したが、給食を食べ先生方と話をしながら「日本人は」という言葉が頭の中に引っかかっていた。

日本人は仕事ばかり、眼鏡をして首にカメラなど、世界ではステレオタイプの日本人観というものがある。ヒゲ先生は決して悪意があったわけではない。が、最近、人を型にはめて観るこのような言葉に僕は敏感になっている。

日本に住む日本人としてマジョリティに属しているときにはそれ程意識しなかったが、世界に出て地盤のない外国人という立場になると、僕のことを何も知らない人が何も知らないからこそ、彼らが知っている画一的な型にはめて「異質」を観る傾向が多いことに気づくのである。

“日本人とはこうである”

相手を型にはめて観るということは、目の前の相手を知る努力をしていないということだ。対する日本人も、海外の人はサービスが悪い、味音痴、不親切で礼儀を知らないなどというのは茶飯。でもたった一人サービスが悪い人がいたからって「この国の人は」と決め付けることなどできる訳がない。

色眼鏡が人の世に彩りを添えるならいいのだが、歪んだフィルターは人々の誤解や偏見、争いに火をつける。日系企業店舗の破壊や在日外国人への嫌がらせ、また戦争も、すべてそこから燃え上がる。国籍、性別、肩書き、信じている常識などのフィルターを外して、お互いに目の前の人を知る努力をすること。どこまで色眼鏡を捨てられるか。そこに個人と個人が理解しあえる鍵があると思う。

だから僕はときどき自問する。よくもわるくも、この常識、その考え方は真実だろうかと。人から与えられた借り物ではなく、自分の肌で感じて確立した想念かと。自分の判断に責任を持つこと。世界に出てから、これは視界を狭めないための大切な僕のルールになった。

2杯目のパスタを口に運ぼうとしたら少年2人が僕のところにやってきて紙とペンを差し出した。サインをくれという。眼がキラキラしている。彼らの顔には、少なくともまだ日本人に対する色眼鏡はない。先入観を持たずに僕個人の内部を観てくれている。気持ちよいほどに、それは透き通った広い視界だった。

夕刻、僕はその学校を後にした。窓から子どもたちが手を振っていた。

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