Sierra Leone 2

Sierra Leone 2 Large Image

Description

“「お前らが助かる道がひとつある。このマチェーテ(山刀)で母親の腕を切り落とせ。できないというなら、いまここで母親を殺しお前も殺す」
少年は母親の腕に大きなマチェーテを振り落とした。泣きながら、何度も。大好きな母の命を救うにはそれしか方法がなかったのだ。腕は簡単には切り落とせなかった。鉄の刃が失神した母親の腕を破砕し、少年の心も粉々に割れ散った(Kenema近郊、1994)”

西アフリカの小国、シエラレオネ。これまで旅をしてきた国の中で、僕が特に好きになった国のひとつである。人々は穏やかで優しく街は比較的きれいで落ち着いており、運転マナーもマシで料理もおいしい。新聞やラジオでこの旅を紹介されて以来、僕を見かけると「リオ!ジャパン!」と見知らぬ何人もが声をかけてくる、人懐っこさと人のよさがある。
旅立ち前から、この国は東アフリカのルワンダと並び、僕の旅の大きなテーマとなっている国だった。
1991年から2002年まで約10年間続き、50万人以上が犠牲になった惨烈を極めた内戦。冒頭の証言は、僕がこの街で聞いたその内戦のひとつの悲劇である。少年は、当時12歳だったという。

3月12日。長い時間と距離をかけて、ようやく腕を切断された少年少女に逢うことができた。フリータウン郊外のキッシーにあるカトリック教会、ムリアルド・コンパウンド。イタリア生まれ、70歳のマウリッツィオ神父と午後5時に逢うことになっていた。
その場には既に何人かの少年少女が待機していた。自己紹介をしてから、なぜ話を聞きに来たのか理由を説明し、撮影とウェブ上でその内容を公開してもいいという許可をもらった。


・アバス・シセイ(Abass Sesay-18歳)の場合

「僕はモヤンバのカラバタウンの生まれです。そのとき母は料理の最中で、隣に祖母がいて、僕は寝ていました。僕は3歳でした。午後の日が高い時刻だったと思います。突然激しい銃声がして、僕は起こされ、母と祖母とともに丘の上の茂みに逃げました。その辺りは木や茂みが多くて隠れやすかったからです。銃声は途絶えず、相変わらず村の方から聞こえましたが、僕たちのところまではやってきませんでした。夜になって恐るおそる、ようやく家に戻りましたが、喉が渇いて仕方がありませんでした。僕は幼かったのでずっと泣いていました。(どこに敵がいるか分からないので)祖母は水を汲みにいくのを怖がりました。母はみんなのために水を探しに丘の上に行くことにしました。しばらくして祖母と僕も後からついていきました。少し歩いたとき、パパパンッという銃声がしました。祖母の後ろからです。祖母はその場で撃たれて殺されました。僕は胴体の左右を撃たれました。左腕もです。そう、ここ。これは撃たれた痕です。母は少し先の茂みにいたので無事でした。レベル(反政府軍)が去って母が駆け寄り、僕を抱え病院を周りましたが、腕の状態はひどく切断するしかありませんでした(病院までは少なくとも数マイル。母が徒歩で連れていった)」
「ときどきあの戦争のことを思い出す?」
「ずっと忘れることはありません」
「自分を撃った人に、または戦争を起こした人々に恨みはある?」
「ありません。許すことはできる。でも、忘れることはできない。僕は戦争のシンボルをいつもここに持っているから」
「夢はある?」
「ソーシャルワーカーです。人々のために自分が役立てたら嬉しいです」


・シディンバ・イリザベス・カボ(Sidimba Ilizabeth Karbo-18歳)の場合

「最も恐ろしかったこと、辛かったこと、悲惨だったことを話してくれない?」
「私より、お母さんに訊いた方がいいわ。お母さんの方がよく知っているから。でもいつも涙まみれで話が終わらないけどね。私の腕がこうなったのは2歳のとき、カバラという村でのこと。軍隊がやってきて村中の人をひとつの建物に集めたの。RUF(反政府ゲリラ)?分からないわ。軍隊は軍隊よ。人数も分からない。たくさん。村中の全ての人がひとつの建物に集められた。入り口や窓は全部閉じられた。乾季だったから暑かった。監獄よ。私もその中にいた。父と母と一緒に。その中にいるとき、αジェットがやってきた(注:慣れると銃声や爆音、飛行音で何の武器か、あるいはどの軍隊かが分かる。αジェットはECOMOG)。しばらくしてジェットが去ると、外の男たちは一斉にドアを開けて、中にいる人々は横一列に並ばされた。そして男たちは村の人を、ある人は銃で撃ち、ある人はマチェーテで腕を落とし、ある人は足を切っていった。私は右腕を肩から切られた」
「なぜ?」
「分からないわ。したかったからじゃない!?」
「恨みは?」
「めちゃくちゃある。腕があればいろいろなことができるわ。私には(腕がないために)できないことが山ほどある。腕がないということが恋愛にも影響している。もしも私の腕を切ったやつが目の前に現れたら?そいつを殺すわね」
「戦争が起こるのは何でだと思う?」
「人間の欲深さ、自分勝手さ」
「夢は?」
「ジャーナリストになりたい。声なき声を拾い貧しい人々を助けたい」


・カディアトゥ・コロマ(Kadiatu Koroma-13歳)の場合

「私の腕がこうなったのは、私が本当に小さいときのことなので、これは大きくなってから私が聞いた話です。私はコムラバイという村で生まれました。まだ1歳くらいのときです。村に敵がやってきました。RUF?分かりません。でもたぶんそうです。銃声がして、両親は私を家に置いて非難しました。私がいると声で居場所が分かってしまうし、他の村人もいたから。それに両親は、いくら敵でも、(まだ生まれて間もない、何もできない)赤ん坊を殺すことはないだろうと判断したのだと思います。村の全員が逃げました。けれども私は家にやってきた敵に右腕を切られました。敵が去ってから両親が戻ってきて、私の腕にハーブを当てました。血止めです。そして20マイル(30km強)離れた遠くの病院まで父が連れて行きました。目を覚ましたとき、父がいたのを覚えています」
「夢は何?」
「銀行のマネージャーです。お金を愛してるから?違いますよ!なんでかな、昔からなりたかった。銀行のマネージャーじゃなければ、弁護士です。勉強をがんばっています」


・ヴァイオレット・サフィナトゥ・コロマ(Violet Seffinatu Koroma-20歳)の場合

「私はモヤンバで生まれ、ウォーター・ルー、ニュートンと移りました。父と母はそのとき離婚していて、私は父と一緒でした。私が7歳のときです。家にRUFがやってきて、父は突然撃たれて殺されました。私の目の前で、です。怖くて仕方がなかった。私は泣き叫びました。RUFの男たちがStop !と言った。でも私は泣いた。「Stop !」Cry.「Stop !!」Cry.「 Sht up !!! 」数人の男たちが私を押さえ、一人が目を強引に開けました。そして火をつけたビニール袋を私の眼の中に入れました。私は気を失ってそのまま放置されますが、その後やってきた村人に助けられ一緒に逃げます。その間に母の友人だった女性に逢い、私は母と再会することができました。母はとりあえずハーブを眼に当ててくれました。その後、いくつもの病院を巡りましたが、結局視力が戻ることはありませんでした」
「戦争を思い出すことは?」
「いつでもです。いつでも私は人の助けを借りないといけない。どこかに行くときも何かをするときも」
「平和を維持するには何が大切だろうか?」
「……少なくとも、殺さないこと。壊さないこと」
「夢を持ってる?」
「ビッグなリーダーになること!(何のリーダーかはまだ分からないけど)人々に信頼されるリーダーになりたいな。以前はジャーナリスト志望でしたがやめました。ジャーナリストは殺されてしまうから」

アントニエッタ・アイサトゥ・カマラ(Antonietta Isatu Kamara-26歳)の場合

「私の街はポート・ロコです。97年、当時私は9歳で、季節は乾季でした。朝の4時に激しい銃声が聞こえたんです。そのとき私たちは、母と3姉妹と弟1人で家にいました。母がみなを起こし、隣の家の家族と暗い中を逃げたんです。必死で逃げました。怖かったか?もちろん、とても怖かった。でも運が悪いことに、途中でRUFに出逢ってしまうんです。“何をしている”と彼らはいい、母が“逃げている。助けてほしい”といいました。すると男は“オレたちから逃げることはできない”といいました。その中の一人が私に“お前、来い”といい。そして“お前の腕、長くカットするほうがいいか、それとも短く切る方がいいか”と訊ねました(注:彼女が拒めば全員が殺された。母親や大人たちの命乞いは、時として彼らを刺激し全員が殺されることにもつながったため、命乞いさえも簡単にはできないときがあった)。長い方は肩の少し下から、短い方は肘の先をマチェーテで切るのです。私は短い方と答えました。そして私の腕はなくなった。痛みはそのときは感じませんでした。後になってから恐怖とともにものすごい痛みがやってきました」
「マチェーテで?」
「そう、これくらいの(50cm程度だと手を広げる)」
「あのときのことを思い出すことは?」
「あります。いや、怖くはありませんけど……怖いのは、戦争がやってくる可能性、それだけが怖い。 戦争は二度といやです、もう二度と」
「平和のためには何が重要だと思う?」
「神様の次には、指導者が重要です。それと政治。政党にもたくさんあって、平和をつくる政党か戦争をつくる政党なのかを、私たちは見極めないといけません」
「腕がなくなった恨みはある?」
「まったくありません。私の心から恨みなどの感情は消えている。なぜか?うーん、性格でしょうね。それが私のナチュラルハート。それに私、将来のことを考えていますから」
「夢を教えてくれる?」
「お金持ちになること!それと、貧困にあえぐ人々を救いたい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「戦争をイメージするとはどういうことか」という問いを、僕がまだ日本にいるとき、知り合いの中学生にしたことがある。その子はとても困った表情をして「戦車とかミサイルとか…………」と答えにつまった。そんな問いを受けたことは、たぶんそれまでなかったのだと思う。

北南米縦断時(’08~’09)、僕はある本を持って旅を続けていた。犬養道子著『人間の大地』。その中のボートピープル(ベトナム戦争)の話の中に、金歯を取るため海賊に下あごを鉈で切り落とされる人の話が出てくる。作り話ではない。このとき、僕は自分の父親をその被害者に重ねた。戦争被害者に、初めて肉親をリアルに重ねた。色も音も匂いも触感も、リアルに。
若い男たちに羽交い絞めにされ、父は後ろ手に縛られている。あごを金具で固定され鉈が落とされる。その前後の父親の表情、呻き、血と潮の臭い。父の威厳が粉みじんに陵辱され、顎を落とされた後、ゴミのように背を蹴られ海に捨てられる。父の赤い血が海の薄緑と混ざり合いボロ布のようなくすみが広がっていく。辛い作業だったが、色も音も臭いも触感も一つ一つリアルに想像した。イメージの世界で僕は「どうか夢であってくれ」と絶叫していた。そこまでして初めて、ほんの僅かだが、人々の痛みや苦しみに触れたと感じた。
それ以来、僕は何度もイメージの中で人を殺している。憎い人をではない。愛する人、大切な人を、である。

「戦争をイメージするとは、イメージの中で愛する人を殺すこと」
それが僕の答えだ。

アウシュヴィッツ、サラエヴォ、ベオグラード、イペレ、フリータウン。僕はこの旅の中で、戦争の傷痕を追っている。
なぜそうするのかという自問はいつも持っている。誰かに質問されたときのために用意している答えもあるが、本当のところ、まだ答えを出し切れていない。
けれどもこれだけはいえる。
僕は人間の心の奥にある闇を知りたい。なぜなら、人間の闇に眠る「狂気の種」は、「大義」や「正義」や「平和のため」などといったある類の触媒を通すと、人種や民族を問わず、いとも簡単に狂気を発芽させてしまうと考えるからである。その種を自覚しなければ、種は僕の意に反して無意識に密かに成長するかもしれない。

“戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かねばならない(ユネスコ憲章前文)”

様々な戦争の傷跡に触れ愛する人が無残に殺されていく(愛する人を自分の想像力で傷つけ殺していく)イメージをありありと想像できるとき、自分は、被害者とともに加害者になる可能性を十分に持っていることを実感する。
無辺の広がりを持つ人心のどこに砦を築くべきか、僕はその闇の在りかを知っておきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

© Copyrights 2026 NISHINORyoo.com

Powered by WordPress · Theme by Satrya