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Description
At Freetown, every day I collected testimony of victims of civil war. Surely that wasn’t easy work. Almost people has serious wound. We may must know darkness of human beings. If we can find what may cause to war, we may make a fort for stop it.
When the civil war started, I was 9 years old. There ware some books or photos about it in my house, but I have no memory. When the war finished, I was a student of university, yet I was busy for another things. I couldn’t have interest for their painful. I couldn’t imagine.
My few interest and little imagine guided me to here.
Probably almost human beings has some seeds of madness I think. Therefore this civil war is not unrelated me. I am not normal, not rational, not justice every time. Are we normal ? Are we rational ? And are we always justice ?
There ware many groups in Sierra Leone at war. Each group had their insistence, mind and justice. Even justice, that made terrible war.
My friend who know a lot of serious wound said.
“Collapse of heart begins once, the human being may be break easily afterward.”
I think over his phrase again and again.
Special thanks for cooperation of collecting story of war for all my friends in Sierra Leone. Ryoo(Rio)
フリータウンを南北に貫く大通りを少し外れて南西に進むと、うねうねと続く茶色いトタン屋根の波が現れる。ゴミの川、狭い通路、人々の汗の臭いや喧騒の波間を縫って更に進めば騒がしい円形交差点に突入し、世話になっている友人宅まで僅かである。恰幅のよい婦人たちが毎日ここで乾き気味のパンをひさぎ、バイクタクシーの客引きと半裸の子どもたちが飴のようにまとわりつき、どこからか流れてくる黒人音楽とクラクションがここでぶつかり合う。生命力に溢れた、体臭とゴミと食べ物と排気ガスと砂塵が混ざった野生的なにおいが渦を上げるキングトンと呼ばれるこの地域は、内戦の間、激しい戦闘が行われた場所だった。
1991年、反政府軍のRUF(Revolutionaly United Front:革命統一戦線)が武装蜂起し内戦が勃発した。彼らの当初の目的は腐敗した政治を倒すための革命であったという。
61年の英国からの独立以来、独裁が続いたこの国では政治家や一部のエリート層が富を掌握してきた。汚職にまみれ、賄賂がまかり通り、殺人さえもカネでなかったことにできる社会の末期症状は、10年間で50万人以上が犠牲となる泥沼の惨劇へと繋がった。
3月1日、国境で知り合った40歳のエミルは肝の据わった好漢である。僕は20日にこの街を去るまで彼の下で居候し、連日自転車で市内を周り内戦の実情を知ろうとした。彼や信頼できる人を介し先方に丁寧に意思を伝えて被害者たちを取材した。
シエラレオネの内戦が始まった年、僕は9歳だった。当然のこと世界観は小さく、自分の周囲、半径50mの興味の中でしか生きていなかった。実家にはシエラレオネの内戦に関する資料はあったはずだし、父からその話を聞かされたとは思うが記憶には残っていない。
だが内戦終結とその後の混乱は僕が大学を卒業してからも続いており、その頃は既にいくつかの文献や写真を通してそのことを薄々知っていたにもかかわらず、酒を覚え異性に心躍らせ友との語らいや課外活動に忙しく、想像することを怠った。
確固とした自責の念を、そのことに抱いているわけではない。多かれ少なかれ人間は自分中心主義以外ではあり得ないし、同時代に生きる人間のすべての痛みを想像することなど不可能だと、無気力さと非情さと冷静さと若干の諦めを持って、そのことで世界と自分とのバランスを取ってきた。人の傷みに無知であり無関心であっても、それはある程度「仕方がないのだ」――遠く近くの、無数にある人の悲しみの一つ一つに心を馳せていたら、生きることなどできないから。
しかし、目の前にいる女性のひんやりとした腕の切断面に触れ、眼をつぶされた女の子のほのあたたかな両眼に指をはわすとき、いつも自分を弁護し逃避させてきたその言葉は一向に現れてはこなかった。一語だけでなく、淡々と触れ恐々と想像するそこに、同情も憐憫も慰めも励ましも、いかなる思いも言葉として発露しなかった。輪郭の分からない模糊とした思いが腹の底を蠢き、波紋となり、渦を巻き、何かを言いたげに首をもたげるのだが、結局それらは言葉までには辿り着かず胃袋辺りで腹の底に引き返し沈んでいった。許されるなら、ただ彼女たちの背をそっとさすりたかった。
厚い唇をした二十歳の美人エリザも、大柄な体格で僕をダーリンと呼んだお茶目なアイリーンも、ビーチで出逢った通りすがりの若者も、バーで隣り合わせたご老人も、出逢う人のほとんどすべてが当事者だった。話題が話題であるだけにその人と信頼関係を築けているか、信頼の置ける仲介者を通し、先方の許可を得られたとき以外、取材はできなかった。反省もある。左耳と左腕を完全に失っている壮年の男性には取材を拒否された。狡猾な上辺を取り繕うような顔をした金持ちの国の旅行者が、興味本位で傷に集ってくる。そう受け取られても仕方がなかった。彼ら彼女らを救えもしないくせ、精一杯利口ぶった顔をして、閉じかけている傷口を強引に押し開け臓腑に迫る行為。一体自分のどこにそのような権利があるのだろうと何度も自問した。
加害者とされるRUFの元兵士の主張や思いも聞いておきたかったが、連絡が上手くとれず失敗に終った。しかし市内で売られていた内戦の記録映像に、RUF元指揮官のインタビューが載っており、以下はその一部の抜粋である。
率先して動く集団や人物にはおそらく何等かの意思があり、主張があり、それが例えいかなる弁解に思えようと、できる限り主観を排して訊くことは絶対的に行われなければならない。その意味で、RUFの元幹部の証言を見つけることができたのは幸いだった。彼の言葉が問うている。お前は常に理性の側にいるのか。お前が見ている風景は正しいのか……
「4つのクラスター爆弾。ひとつの重さは250kgでスウェーデン製。50mの高さから、4つが投下されたよ。端から端まで300mの小さな村にだ。その爆発能力を知っているか。直径300mの大穴が開く。(爆発後)村のすべてが見渡せた。そこは俺たち反乱軍のエリアだったからね。それでやつらは投下したんだ。兵士と住民、無差別にね。それがRUF(反政府軍)かAFRC(私的軍事勢力)かSLA(政府軍)だか、やつらにとってそんなことはどうでもよかったんだ。約1000人が一瞬に死んで、(生き残っても)俺の後ろにいたやつらはみんな不具(※1)になった。クラスター爆弾の二次爆発(※2)でケネマ地域の200人が死んだ。俺らはそいつらと戦った。朝の10時半だったよ。(その後)ミグ戦闘機、イギリス軍がやってきた。俺らはそれが後方支援のイギリス軍だと知っていた。(やつらは)ジェレという村の人々を殺したんだ。200mもない高さから200人以上を集中砲火によってね。俺らとECOMOGの間を縫って、やつらはケネマに向かっていった。しばらくしてαジェット(ロシア製)が俺たちの戦闘地域にやってきた。そして二つのクラスター爆弾を投下したんだ。(イギリス軍の)誤射の証拠隠滅のためにね。なぁ、残虐って何なんだ?教えてくれ。残虐ってのは何なんだ。人々の家を破壊することか、全ての家を破壊することか?村の全てを破壊しつくすことか?……」
「もし誰かの手が切断されていたら、きっと人はいうだろう、RUFの仕業だと。そして人々はそれがRUFだと信じるようになる。何も考えず、人から言われたことをそのまま鵜呑みにする。これはとても問題だ。それを、UN(国連)のメアリー・ロビンソンという女性が行った。彼女はここに来て、後にばかげたことを書いたよ。俺はCNNで彼女のインタビューを聞いたんだ。“おぞましい虐殺を行っている、それがRUFです”彼女は状況を十分に知ろうともしなかった。彼女はただ(RUFの)評価、決定をしたかっただけなんだ。彼女はRUFのどの階級の兵士に一度も逢って話をしたことがないのにだよ。僕らの支配地域のどこにもいってないのにだ。
手足がない人々に会えば、ナイジェリアの爆撃でそうなったという人を目にするだろう。彼ら彼女らは、それには目を覆いたいだけなのか。なんでRUFとAFRCだけに(非難が)集中するんだ?それはコフィ・アナンとやつらの、自分たちの議事録のためなんだ」

中心部のロータリーに、樹齢500年といわれるコットンツリーの巨木がそびえている。1787年、イギリスによる解放奴隷の入植地として建設されたこの国は、大木のようにひとつにまとまり発展を目指したはずだった。
毎朝この木を目印に僕は市内へと脚を運び、夕刻、この木の傍らを通って帰宅した。
滞在最後の日、エミルは3時間に及ぶ自分の話を聞かせてくれた。
「革命なんかに期待はしていなかったよ。そうだろ!?武力じゃなくて、変えるなら、テーブルに着くしかないんだ。選挙で変えるしかないんだ。内戦は10年も続いた。方法が正しければ人々は同意しもっと早くに終っていたはずだ」
「戦争が始まる前、俺は家の中で黙って座っていた。止めるための行動をとらなかった。そのことを唯一後悔している。はじまってからでは遅いんだ」
「国をよくしていくには教育しかないと思っている。子どもたちのために、俺らができることをするしかないんだ」
「戦争のダメージは思いのほか大きい。いまだに社会はそれを引きずっている。“悪いやつだ!”と誰かがいうと、そいつをボコボコになるまで殴るんだ。感情の抑制ができない」
「朝起きて、仕事があって、家族がいて、笑って気持ちよく暮らすこと。結局幸せってのは、そんなもんだと気付いたよ。俺は、まだ本物の幸せを手に入れちゃいない」
激戦地に住んでいた彼は隣人が何人も殺される瞬間を見ている。圧政から国民を解放するはずのRUFが住民を殺し、RUFから市民を救うはずのECOMOG(ナイジェリア主導の西アフリカ平和維持軍)が住民を殺し、政府軍、市民自警団、隣国のリベリア軍も住民を脅かす。それぞれが相手の非を指摘し自集団の正当性を主張した。正義を語り正義を翳(かざ)し自分たちの正義に同調しないものを抹殺した。
僕が本当に知りたいのは内戦の実情ではない。人間の心の闇である。何が人を煽(あお)り立て、何が人間を崩壊させるのか。それが分かればそれを止める手立ての一粒くらいは見つけ得るかもしれない。闇を見つめる聴聞。そこへと向かう旅路。
「一旦崩壊が始まれば、後は簡単に人間は壊れていく」
アフリカの太陽と乾いた潮風に晒される茶色いトタンの波間を漂って、僕はエミルの言葉を反芻する。
※1:不具という表現は不適切だとされているが、分かりやすい訳にするためそのようにした。
※2:クラスター爆弾は親爆弾から子爆弾が空中で破裂、散布され、段階的に爆発する仕組み。より多くの面積に損害を与えることができる。現在では非人道的兵器として国際的に使用を禁じる動きがあるが(オスロ・プロセス)、今もなお製造する国と企業があり一部地域で使用されている。
追記:日本再出発までにシエラレオネのまとめを公開するつもりだったが、不手際により遅れたことをお詫びする。シエラレオネの内戦は、ダイヤモンドの利権(他国も関係している)が深く関わり、世界的ダイヤ消費地である日本にも血塗られたダイヤが輸出されていたといわれている。最良質のダイヤやチタンの原料ルチル、ボーキサイトを多く産するこの国が、なぜ世界最貧国であり世界最低の平均寿命(当時)であったかは、政治の腐敗とそれによる内戦の影響であるが、問題はこの国一国だけではなく、先進国や多国籍企業の関わりを指摘しなければならない。
内戦は、2002年、トーゴの首都ロメで和平協定が結ばれたが、何万人もの手足を切断しあらゆる蛮行を行ったRUFの責任者フォディ・サンコゥは罪を一切問われず、なおかつ副大統領兼資源大臣という破格の取り扱いともいえる要職を与えられて政界に登場することになった。原爆投下をせねば戦争は終らなかったという論理と同じく、そうせねば内戦は終わらなかったという主張もできようが、凄惨な殺戮を行った組織の最高責任者の罪を一切問わなくてよいのか、被害者の気持ちはどうなるのか、更に要職に就かせるのはなぜなのかという国際的な批判を無視し、この和平協定の草稿を作成し実施させたのはアメリカ合衆国政府である。
現在のシエラレオネはとても落ち着いているが、もともと人々は親切で平和を好み、僕がとりわけ好きになった国のひとつである。
取材は、シエラレオネ・オリンピック委員会、同国自転車協会の協力の下で行われた。エミル、取材に同行したソロモン、マウリッツィオ神父と、この国のすべての友人たちに感謝する。