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Description
I am still staying in Kigali because waiting for permission to interview man who know genocide. It’s quit log time, but I can manage myself.
Anytime I should do it what I can.
Every day I go to Genocide Memorial site. It is so hard to imagine of their witness.
We have to know that the power may be decay easily.
And we ; public may be also run wild sometimes.
遠慮しないといけないところで我慢ができず遠慮しなくていいところで欲しいといえないこのわたし。「自律」は永遠のテーマ。
ジェノサイドやすべての紛争を防ぐために何が必要かとの問いに、多く生存者は教育だと答える。ジェノサイドをこしらえるのも戦争をつくるのも、平和を構築するのも教育である。高次の法ではなく時の政権・権威に忠実な教育者がジェノサイドをこしらえ戦争をつくりあげる。どこにでもいる。たぶん私も。
兵器に人道的も非人道的もない。が、ミサイルでポンッと殺す方が遥かに「善意」かもしれない。逃げないようにまずアキレス腱、後、去勢、外性器を口に突っ込み…女性の場合は… 人間の残虐性は好奇心と結びついている。私は好奇心旺盛な者。残虐さの可能性を秘めている。おそらく私だけではない。
「感受性」がどうちゃらエラそうに言っちゃったくせに日々無感動に過ごし「白い海」とか言っちゃったくせに私は朝からビールの海に浮いてる。という堕落街道にサラバを告げ始動開始。虐殺被・加害者になりきって初めて辿り着く問いは、ものすごく具体的で直接的でおそらく無礼。無礼を意識する。
取材は相手を傷つける。母親はどのように殺されたのか。泣いていたか。呻いていたか。どのような言葉を発したか。殺されたときの気持ちを教えてほしい。もっと詳細に… 帰宅してその世界に入っていく。リアルに想像する。手足を切断され殺されゆく母。だが私の母は生きており、彼の母は死んでいる。
『石の花』から。
~民衆は本当の自由なんか望んじゃいない。自分の意志で選び判断し行動することはとてつもない負担になる。そんな自由などいっそ誰かに預けてしまった方が楽なのだ~
「私、○○に勤めてるから、○○氏に投票しろといわれてる」
お任せ民主主義と組織票。個人の責任は揮発する。
映画『ホテル ルワンダ』はジェノサイドの恐ろしさを伝えるにはいい材料である。が、ルワンダの知名度を確実に上げたそのDVDや書籍をこの国では見つけることができない。「あれは英雄を作り売り上げを伸ばすハリウッド映画。実際は貧しい者は門の前で見殺しにされ彼は金持ちしか救わなかった」らしい。
いつの時代もどこの国でも、権力は腐敗しやすく暴走しやすいものだという自覚を持つ必要がある。そして私という人間は、威勢のいい言葉に流されやすく目先の利益に捕らわれやすく責任放棄と責任転嫁しやすく、ときに権力よりも暴走しやすいものだと忘れずにいたいもの。
メディア、政権、宗教。この3つがジェノサイドをつくったとある男性。
ジャーナリズムを司るメディアは権力の監視係であるはずだ。だからこそ「表現の自由」と「批判精神(自己批判)」は民主主義の根幹。が、メディアに覚悟がなければそれは揺らぐ。政権のご機嫌を取る広報係になったら終わりだ。
某大国出身のご婦人と仲良くなった。僕はその方を好きだが、時おり、アジア人やアフリカ人を蔑視する傾向があることに気付く。本人はお気付きではないが、特に食生活、生活習慣を揶揄することはその人個人ではなく、その父母や祖父母やすべての先人たちを揶揄していることに気付いていた方がいい。
パキスタンで小学校が襲われ、パリで凶行が発生し、ドイツで関連の放火があり、ナイジェリアで新たに多数の住民が殺害。止まらない連鎖。ある欧米系NGOは教育の欠如がテロを生むといった。だがテロリズムは教育の欠如が原因ではない。
テロは、自分(たち)は絶対的に「善」の側におり、世界をよくせねばならないという絶対的な「正義」から生まれる。
テロリストと呼ばれる人々からすれば、欧米系の人々もNGOも、自分たちは絶対的「善」であり「正義」であり、自分たちはどこか間違っているかもしれない、もしくは相手の論理に一理あるかもしれないという可能性を一瞬たりとも考えない人々である。「テロリスト」は武器を使い、「テロリストの標的となっている人々」は経済や法といった武器を使う。両者は似ている。絶対的「善」も「正義」も教育から生まれる。
パキスタンで教育の大切さを訴えノーベル賞を受賞したマララ氏。刑務所内にいるタリバン幹部から彼女に宛てた手紙の内容は、タリバン(少なくとも彼の私見)が学校に反対しているわけではないこと、教育の重要性を認識していること、西洋式の教育が多くの文化を破壊してきたこと、またそれのみが「善」であり「正義」であり「絶対的」で他の価値観の入り込む余地がないことを危惧する内容である。テロリストの殺人や殺戮を弁護する余地は一切ないが、訴える場が一方にはあり他方にはなく、一方の誤爆や破壊は問題にされず他方のみ非難されるという状況がテロを生む要因でもある。
旅をしていてよく感じる。どこの国でも食の食べ残しが多い。僕の家ではご飯の一粒でさえ残すことは許されなかった。「一滴の水にも一粒の米にも万人の汗が流れています」小学生時代に泊まった油谷青年の家の標語。ご飯がゴミ箱に投げ捨てられる度、心がつぶされる思いになる。
食べ物を平気でゴミ箱に投げ捨てる人々を見ていて心が痛む。貧困国の非富裕層でも。欧米では世界の飢餓を憂えながら大量の食をゴミ箱に捨てる状況を結構見てきた。大量生産、大量廃棄の日本全体で考えると他国を批判できるような状況ではないけれど、食に関しても省エネに関しても、日本人(あくまでも僕の周りにいる人々)はみんなよくやっている。
ダンスはセックスである。と、以前に書いたが、やっぱりセックス。みなさん、当たっちゃってる。僕はダンスはもういいや。虐殺の取材と考察に時間をかけたい。
だが日本男子よ。アフリカでモテたいならダンスを磨け!
アフリカに来て思うモノにしたい技術。1、言語。2、料理。3、肉体官能的ダンス。
世話になっている家(ベルギー人)の人々は、英語、仏語を話す。妻はインド人だからヒンディー語も話す。ルワンダ人の友は英、仏語に加えてキニヤルワンダ語とスワヒリ語とそれぞれの母語を流暢に話す。少なくともみな英語を話す。話す内容があっても言語ができなければ伝わらない。言語力の壁を乗り越えたい。
ベルギー大使からメール。
「ホテルにお金払って泊まってるんだったら、うち(大使公邸)においでよ。無料で泊まれるよ」
多くの人が親切をくれる。僕はその流れに乗っているだけ。僕一人の旅ではなく多くの人に運んでもらっているだけ。今日、折り鶴とカードを門番に託した。
ルームシェアをすることになったアフリカの友との会話。
「ねぇねぇ、朝は何時に起きる?」
「アフリカ人は何時に起きるとかはないよ。目が覚めなければずっと寝てる。目が覚めたら起きる」
「そっか…そうだよね!」
こんなアフリカ人を愛してる!